横関食糧工業の歴史
創業時のこと
『横関食糧工業』の創業は、戦後の食糧が乏しい時代です。出征の経験もある創業者・横関行夫が、「体にいいもの・自然のものを多くの人に届けたい」という思いで始めました。
当時扱っていたのは、きなこやドライあんこ、おちらし(はったい粉)など。特にきなこは、貴重なたんぱく源として重宝されたそうです。
その後、「貧しくとも、きちんとご先祖様や神様をおまつりしたい」という伝統と人々の心にも共鳴して、取り扱う雑穀や粉の種類も次第に増えていきました。
地元への思い
流通の都合上、工場は徳島市住吉に構えましたが、三好郡三好町(現・東みよし町)で生まれ育った行夫は、地元のことが大好きでした。三好の畑に、コキビやタカキビを植えてもらって商品にするなど、常に地元との連携を考えていました。
そんな折、冷凍食品ブームがやってきます。これを機に、香川県にある大手冷凍食品会社の工場に新鮮なパン粉をお届けするため、昭和48年、行夫の次男・勝弘が三好(足代)にパン粉の工場を開設しました。地元の人たちを雇用し、行夫自身も息子・雅章と一日交代で工場に通いました。
二代目が大切にしたこと
平成7年、雅章が二代目社長に就任します。幼い頃から工場で育った雅章は、社員のことを家族のように思っていました。「社員が頑張ってくれているからこそ、今の自分がある」と考えていたようです。
堅実で世話好きな性格もあり、社員旅行での交流をとても大切にしていました。今も多く残っている社員旅行の写真には、家族のように和気藹々とした社員の笑顔がたくさん写っています。
大切な人たちと旅先でおいしいものを食べる、という経験は、雅章が考える幸せとつながっていたのかもしれない、と当時の社員たちは振り返ります。
だからこそ、自分たちが扱う商品も、「おいしい」というキーワードで大切なお客様の幸せに関われるよう、気を配っていたのでしょう。
産地をごまかさないこと。きちんと味見をし、自分たちが納得したものだけを製品にすること。当たり前のことかもしれませんが、こうした誠実な社風は今日にも受け継がれています。
私たちの使命
若い社員も増えていく中で、変わらず大切にしているのはやはり「体にいいもの、自然のものを届けたい」という創業の思いです。飽食の現代だからこそ、先人が培ってきた雑穀のよさを改めて多くの人にお届けするのが私たちの使命であると考えています。